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福岡高等裁判所 昭和46年(う)214号 判決

主文

原判決を破棄する。

被告人を罰金五万円に処する。

右罰金を完納することができないときは、金一、〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

原審並びに当審(差戻前、差戻後)における訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、検察官村上三政提出(検察官苫田文一作成名義)の控訴趣意書記載のとおり(ただし二六枚目表九行目「前記第一掲記」とあるを「後記第三掲記」と訂正)であり、これに対する答弁は、弁護人古賀野茂見、同神代宗衛提出の連名の答弁書記載のとおりであつて、これらに対する当裁判所の判断はつぎに示すとおりである。

一検察官の控訴趣意第三(訴訟手続の法令違反、判決に理由を付さずもしくは理由不備)について

所論は、原判決は、検察官提出にかかる裁判官の勾留質問調書に被告人の失火責任を認めるに足る具体的事実の記載があるのを忘却し、右証拠およびその余の証拠を総合すれば、優に公訴事実を認定し得るに拘らず、単に、捜査官作成にかゝる被告人の供述調書を任意性に疑いがあるとの理由で排除しただけで漫然無罪を言渡したのは、適法な証拠の判断を遺脱した訴訟手続の法令違反並びに適法な証拠を排斥するに理由を付さずもしくは理由不備の違法があるというのである。

しかし本件記録によれば、原判決は、捜査官作成にかゝる所謂自白調書を供述の任意性に疑いがあるので証拠能力を欠ぐとして排除したに止まらず、その余の全証拠をもつてしても公訴事実を認定し被告人を有罪とするに十分でないとして被告人に無罪を言渡したものであつて、原判決の右認定は、所論裁判官の勾留質問調書も当然判断の対象となしたうえで、その証拠価値について自由な心証により考察した結果犯罪事実を認定するに十分でないと判断したものであることは、原判文上まことに明瞭であるから、原判決に、所論訴訟手続の法令違反、判決に理由を付さずもしくは理由不備の違法はないので、論旨は理由がない。

二検察官の控訴趣意第一および第二(事実誤認)について

所論は、原判決は、本件につき、検察官が原審で提出した関係証拠を仔細に検討すれば、捜査官に対する被告人の自白の各供述調書に供述の任意性および真実性が認められ、これらに他の証拠を合わせると、優に公訴事実を認定できるに拘らず、証拠の取捨選択および価値判断を誤り、被告人の自白調書の証拠能力を否定し、公訴事実を認定しなかつた事実誤認の違法があるというのである。

よつて本件記録および原審並びに当審(差戻前および差戻後)で取り調べた証拠に基いて検討することとする。

(一)  本件公訴事実の要旨

本件公訴事実は、「被告人は、長崎県福江市東浜町七三九番地所在九州商船株式会社福江支店倉庫(以下本件倉庫といい、会社名は九商と略称する)労務員であるが、昭和三七年九月二五日午後六時頃から本件倉庫の宿直勤務につき午後一〇時頃就寝し、翌二六日午前零時五分ないし午前一時頃までの間に、一旦起きて煙草を喫しながら、倉庫内を見回つた際、その吸がらを完全に消火しないで倉庫内に投棄すれば、同所には藁屑等が散乱しかつ菰包みの荷物等が集積されているため吸がらの火がこれらに引火する危険性があるのに拘らず不注意にも完全に消火しない吸がらを倉庫に投棄し、そのまま再び就寝した過失により同日午前二時頃吸がらの残火が附近荷物に燃え移り、現に人の住居に使用する本件倉庫およびこれに隣接する住家等三九七戸を焼燬するに至らしめた」というものである。

(二)  被告人の宿直、火災発生の事実並びに出火場所について

被告人が本件発生前、後および現在まで九商福江支店倉庫勤務の労務員であつて、本件火災発生の前日である昭和三七年九月二五日午後六時頃から火災発生に至るまで当番として本件倉庫の宿直勤務をした事実は、被告人が原審並びに当審における審理を通じて認めて争わないところであり、原審証人寺田諦の証言(第四回公判期日)によれば、宿直員の勤務時間は、午後五時半から翌朝七時までで、荷物の発受およびその連絡、盗難火災の予防並びに艀の管理を主たる任務とすることが認められ、また原判決理由第一掲示の証拠並びに司法警察員作成の昭和三七年一〇月三日付実況見分調書によれば、昭和三七年九月二七日午前二時過頃間口11.8メートル奥行11.4メートル木造瓦葺の建物である本件倉庫から出火し、同倉庫並びにその近辺の現に人の住居に使用する住家等三九七戸を焼燬した事実を認めることができる。右火災の出火状況を見るに、原審証人中村ナルの証言(第二回公判期日)によれば、同人は、本件倉庫前の道路を隔て向かいにあつた松の井旅館に女中として勤務していた者であるが、昭和三七年九月二六日午前零時二〇分頃就寝した。すると、午前二時二〇分頃から三〇分頃までの間に、「火事だ火事だ」という被告人の叫び声に目を醒まし吃驚して飛び起き、二階にいるお客を起そうと上つて行き、ガラス戸越しに本件倉庫の方を見ると、同倉庫の出入口の扉が開いて上の方から煙と炎が出ており、他に燃えているところはなかつた。附近の家にもまだ燃え移つてはいなかつた。同人が玄関から外に出ると、傍らに被告人が立つているので、「おたくが当番だつたのですか」と尋ねると、被告人は「はい」と答え、「火元は何ね」ときくと、被告人は「電気だ」と答えたというのであり、原審証人清水彦吉の証言(第二回公判期日)によれば、同人は本件倉庫の向かいで松の井旅館を経営していたが、就寝中、午前二時過ぎから午前二時三〇分頃までの間に、外の方で「火事だ火事だ」と叫ぶ男の声で目が醒め、直ぐ起きてガラス戸を開けてみると、本件倉庫の戸が開いていて、入口から火炎が出ていた。玄関から外に出て、本件倉庫内をみると、内部は真赤な火の海であつた。道路には、被告人がステテコ姿で立つていた。すぐ自宅に戻り、家族を起し、警察と消防団に電話したが、何一つ持出す間もなく、すぐ避難にかかつた。その時はまだ松の井旅館に燃え移つていなかつたというのであり、原審証人川端音吉の証言(第二回公判期日)によれば、同人は、本件倉庫北隣で旅館浜荘を経営していたが、女中から起こされ、外に飛出してみると、本件倉庫の中央出入口から煙と火炎が出ており、始めは大したことはないと思い、バケツに水を入れて一杯かけてみたが、到底消火できそうにないので、自宅に戻り避難の準備をした。外に出て見たときは、燃えていたのは、本件倉庫だけで他に燃えているところはなく、しばらくして松の井旅館にもえ移つたというのであつて、以上の証言のほか、原審証人川口一、同谷川儀七の各証言(第二回公判期日)元山ミツヨ、出口松次の検察官に対する各供述調書を総合すると、本件火災の出火場所が前叙のとおり本件倉庫内であることは、目撃者の現認により疑いの余地のないところであつて、これに反し他の出火場所を認むべき証拠は全く存しないのである。

(三)  被告人の司法警察員および検察官に対する各供述調書の任意性と真実性

(1)  被告人に対する捜査の経過

被告人は、昭和三七年九月二六日から任意捜査による取調べをうけ同年同月二八日午後七時五五分福江市池田町七番地で失火被疑事実により逮捕され、同年一〇月一日午後一時福江警察署において勾留状の執行をうけ、同年同月九日に同月一七日まで勾留期間を延長されたものである。警察、検察庁における右捜査の過程においては、公訴事実記載のように自己の煙草の吸がらの不始末により本件火災が発生した旨の事実を一貫して自白していたのであるが、同年一〇月一四日釈放後福江市から長崎市に赴き同月一六日長崎市居住の神代弁護士の事務所を九商福江支店長とともに訪れ、他一名の弁護士を加えて事件についてこもごも協議を遂げた結果前記供述中「被告人が夜中の一二時五分か一時頃起きて煙草を吸いながら倉庫内を見回わり中二階下部の荷物置場辺りに吸いがらを捨てた」点だけを否認するに至り、自ら求めてその趣旨の検察官面前供述調書(昭和三七年一〇月一七日付)を作成せしめた事実を認めることができる。

(2)  原判決の認定について

(イ) 原判決は、被告人の前示自白調書には任意性がなく、証拠能力を肯定できないとし、その根拠を捜査の方法並びに原審における被告人の供述に依拠しているのである。

しかしながら被告人が最初参考人として取り調べられついで被疑者として逮捕された経過並びにその後の取調方法に非難に値する事実は見当らないのであつて、被告人を参考人として取調べたところ前叙のように本件火災の唯一の出火場所と認められる本件倉庫の宿直員として唯一人所在し喫煙の習癖があることが判明したので捜査官が被告人に対し失火の容疑を投げかけたのは当然のことであり、更に取調べた結果被告人が夜半煙草の吸いがらを投棄した事実を自供したことより被疑者として逮捕状を執行したのは適法な捜査手続であるといわなければならない。

原判決は、九月二六日夜警察官らとともに被告人を善教寺に宿泊させた措置を非難するのであるが、未曾有の大火後であり、原審証人久保和貴の証言(第五回公判期日)によつて認められる如く、被告人が九商福江支店に出火の報告に来た際同人から「変な気を起すな、気をしつかりもて」と注意される程異常に興奮していた状態であつたから、原審並びに当審(差戻後)証人大久保稔の証言にあるとおり、市民に迷惑をかけ家族にも会わす顔がないという被告人の心情を汲んで善教寺に宿泊させることは、被告人の意思に反するものではなく、むしろ興奮の鎮静を促し冷静さを取り戻す心理的効果も期待でき、宿泊の方法についても、格別非難すべき異常な点の認め難い本件において、この一事により被告人の自由な意思が拘束され、その供述の任意性が奪われたということはできない。

(ロ) 原判決は、取調べに当つた警部大久保稔が恰も被告人に強制を加え、供述を誘導して煙草を吸わなかつたと否認する被告人に無理に吸つたと供述させたように説示する。けれども、本件においては、被告人に対する放火の嫌疑事実は全く存在しないので単なる失火容疑以外に問題とされる事柄はなく、しかも失火罪はその法定刑より刑事々件としての比重は極めて軽いのであつて、当審(差戻後)証人大久保稔の供述にあるように、捜査官憲の正義感を刺戟して被疑者に対し無理な捜査をし強制的な自供を求める程の縁由、原因、動機が希薄である。被告人は、検察官に対する前掲否認調書で、大久保警部から無理な取調べをうけていないと供述しているだけでなく、当審(差戻後)証人堀脇喜三郎の証言によれば、九月二七日煙草の吸いがらの不始末を自供した後妻の病気を知らされて、自宅に帰つた際、実父堀脇喜三郎(被告人は他家の養子となつたもの)から警察の調べを尋ねられ「警察は自分のいうことをきゝ入れてくれぬ、飲まん煙草も飲んだといつた」というと、同人から「この馬鹿野郎、貴様福江の焼けたのを知つているか、何で白状するか、その位なら何故火の中に突走つて死ななかつたか」と怒鳴りつけられ、更に「今後そういうことを絶対に言つたらいかんぞ」と堅く申し付けられたのに拘らず、被告人の司法警察員に対する昭和三七年九月三〇日付、同年一〇月一日付、同年同月五日付、同年同月一三日付各供述調書によれば、以前よりも一層詳細に本件火災が自己の煙草の不始末に起因する事実並びにその前後の経緯、情景を一貫して供述しているのであつて、このように実父の勧告をもつてしても変わることのなかつた被告人の意思が前叙のように釈放後長崎に出て弁護士等と協議した以後において変更された翻意の根底には、自己の免罪よりも自己の奉職する会社、すなわち、長崎福江間の主要運輸機関で島内で営業する最大の地元会社である九商に対し多数の被災者から予想される莫大な損害賠償請求の懸念、会社の危機への意識が有力な動機として存在しており、供述の任意性を否定する主張は、会社防衛の手段としての意味合いをもつて出現したものと推測される。

(ハ) 当審(差戻後)における被告人の供述態度および供述特性をみるに、被告人は、言語の回転が軽快で対話構成あるいは物語風の叙述の極めて巧みな話術に長けた人物である。これに対し大久保稔は、発語が鈍重で口籠る性癖、いわば一種のどもり癖的傾向が窺われ、時には聴者をして焦燥感を抱かせる程に訥々と発言する。

原判決が、被告人の問答式の供述を迫真性に満ちた供述と評価した基礎には、右供述特性の対照的な差異が強度に意識された結果であることは、原判文上明らかである。しかしながら、供述の真実性の有無は、供述の巧拙や特性とは無関係で、その内容にあることは、いうまでもない事柄に属するのであつて、原判決の認定は、被告人の供述の巧緻により或種の先入観にとらわれたゝめ個人により相異する発言の性癖と内容の客観性、真実性とを混同した皮相的な観察の憾を払拭し難い。

端的にいえば、大久保のように、発語能力の劣勢な捜査官から訥々と取り調べられたからといつて、その何倍も言語を操ることが可能で圧倒的に語術の巧者な被告人が右捜査官の質問に打ち負かされ、容易に事実に反する供述をしたとは想像することが困難である。原判決は、被告人の自白調書中の供述に、煙草の吸い方、宿直室を出て戻るまでの足取り、吸がらを捨てた位置、吸いがらの火の消し方、捨て方等に相違があることを指摘して、該調書の任意性を否定する一資料とするのであるが、何人といえども宿直勤務中たまたま目覚めた場合の行動を後で想起するとすれば、あれこれと想いめぐらすのが、むしろ通常であろうし被告人自身についてみると後記のように飲酒のうえ宿直勤務につくという弛緩した精神状態にあつたのであり、総体的にみて、右捜査官が被告人のいうように手取り足取りして、詳細に供述を誘導したとは、俄かに信じ難いのであつて、それよりも流暢に陳述する被告人の供述を録取するのに追いまくられ、その流暢さの故に供述調書の供述に差異を生じたとみるのが事実に合すると考えられる。

一般的にいえば、言語能力の優劣は、議論の過程を支配、左右することにより、劣等な発言を抑え、ないしは潜り抜け、自己に有利な結論に導き何ら遜色がないのが普通であつて、本件についてこれをみるに、原審は言語能力の優れた被告人の供述が対立証人の供述よりも強い印象をうけたとし心証形成の主要な契機としているのである。しかしながら百尺竿頭一歩を進めて考察すれば、かゝる言語能力の優れた者が捜査の過程において特別の事情もないのに何故に捜査官を説得しえなかつたかという疑問に思い当る筈である。被告人が喫煙の不始末の事実を供述したのは任意捜査の取調べにおいてであつてその際も普通の調べをうけたに過ぎない。大久保警部は、発言が鈍重であるという捜査官としては必ずしも有利でない性癖をもつありふれた警察官であり、発言能力に圧倒的に優勢な被告人が経験事実については、能力の格差をもつてしても防禦し切れず遂に供述さざるを得ない境地に陥入つたとしても、事物自然の道理に属する。

原判決は、大久保警部から失火の方法について指示をうけたと称する第一、第二の方法に関する被告人の供述を取り上げ、任意性否定の資料に加えるのであるが、いうところの第一の方法のみが昭和三七年一〇月一日付の供述調書以後記載されていて、第二の方法は、遂に、いずれの供述調書にも現われていない点並びに被告人の前叙供述特性、言語能力、人格態度を考え合わせると、被告人の右供述は、捜査官の片言雙句をとらえ、巧みに着色誇張した観を有し信を措くことができない。

なお、原判決は、被告人が警察官の強制的誘導、不当な示唆による影響下において検察官に対しても虚偽の供述をした旨認定するけれども、被告人の原審における供述によれば、検察官からは、強制的誘導や圧迫をうけたことはない旨陳述しているだけでなく、被告人は、自己の希望と選択により被告人の自白調書作成の任に当つた検事羽田辰男に懇請して昭和三七年一〇月一七日付供述調書の作成を求め、同検事もまた被告人の要請を快く承諾して被告人の求めるまゝの否認調書を作成しているのであつて、右事実に徴するときは、被告人が検事羽田辰男に対し絶大な信頼を措いていた証左ともいうべく、被告人が同検事の取調べに対し人格的信頼関係の下に、自由な意思で陳述したであろうことを推測させるに足るものである。被告人が検察官に送致される直前に大久保警部から告げられたという原判決摘示の言葉についても、当審(差戻後)証人大久保稔の証言に照らして考えると、捜査官一般の常識を逸脱した極めて幼稚で芝居じみた供述内容であるのみならず被告人が前叙のように警察から一旦帰宅した際実父からうけたという激烈な勧告と比較して考察すれば、被告人の右供述をすべて採用したとしてもなお、被告人の強固な意思を束縛するに足らないと推認することができるので、原判決判示のように、任意性否定の資料とすることはできない。ことに、昭和三七年一〇月一日福江簡易裁判所において裁判官の勾留質問をうけた際、詳細に自己の犯行を自供した事実に照合すると、前示供述は、原審証人大久保稔の証言にあるように、捜査官の何気ない助言を変形修正して利用した誇大な吹聴の疑いが濃厚である。

要するに、大火災直後の混乱した状況下において行われた捜査であるため種々不便の存した点は推察に難くないが、全体として捜査の常道を逸脱した不当なものではなく、警察官の強制誘導下に自供したかの如く主張する被告人の原審における供述には、たやすく信を措くことはできないので、被告人の自白の各供述調書については未だ供述の任意性を否定すべき事情は存しないものというべく、原審並びに当審(差戻前、差戻後)証人大久保稔の証言を始め前示各証拠により原判決挙示AないしEの各供述調書はすべて供述の任意性のある、証拠能力を具備した適法な証拠と認めるのが相当である。

そこで、補強証拠となるべきその他の証拠と対照しながら逐一検討を続けることとする。

(3)  被告人の供述調書と補強証拠

(イ) 被告人の検察官に対する昭和三七年一〇月三日付、同月九日付、同月一二日付供述調書および司法警察員に対する同年九月二七日付、同年一〇月一日付供述調書中の供述には、行為の態様、叙述につき或程度の差異が窺われなくはないのであるけれども、共通する主要部分を抽出すると、「本件倉庫は、古い木造瓦葺平家建(中二階)の建物で、中二階があり、その下に六〇ワット位の電灯がつるしてあつた。九月二五日は、朝八時半から午後四時半まで勤務し、一旦帰宅してビール一本を飲み、夕食をとり、午後六時頃いこいか新生の二〇本入り煙草一箱を受取つて家を出た。倉庫の労務員休憩室の土間を掃除した。倉庫内には大分ごみが溜つていたが掃除はしなかつた。太田鶴来係長が帰つたあと、倉庫の戸を閉め施錠をした。

同僚の泊国光とその妻、被告人の妻、それに飲み屋のマダムと女給がやつて来た。被告人は、マダムに飲代三〇〇円を支払い、泊がマッチを貸せというので、さかえ食堂まで行き、同店のマッチの大箱から軸木一五、六本をつまみ出し小箱につめて泊に渡した。泊から煙草一本もらつて吸つた。泊らは九時三〇分頃出て行き、被告人の妻は、九時四〇分頃帰つた。そこで中二階の下に下つている六〇ワット位の電灯、宿直室の螢光灯、便所の電灯と外灯を残し、他は全部消灯し、風が強かつたので、雨戸を閉めたが、建物が古く、隙間風が可成り入つていた。一〇時頃に、持参した毛布にくるまつて横になりトランジスターラジオを枕許におき、聞いているうち、いつの間にか眠つてしまつた。そのうちはつと目を覚ますと、ラジオはまだ喋つていたが、目をさましたついでに、一度見回わりし、宿直室に戻ると、すぐに眠つた。その次ぎに目を覚ましたのは、夜中の一二時過か一時頃である。まず煙草を一本抜いて火をつけ、半分位吸つた。見回わりをしようと土間に足を下し、草履をはいて倉庫に出てざつと見渡したが何も異常はないようであつたので、そこでまた煙草を吸い、一寸位の長さの火のついた吸がらの先をねじ切るか指で押すようにして、その場に投げ棄て、宿直室に戻つて休んだ。当時は可成り眠気が強く、火が消えたかどうか確かめずにポイと捨てた。それから床についてすぐ眠つたが、しばらくすると、パチパチという音で目が覚め、吃驚して白のステテコ、丸首アンダーシャツ姿で裸足のまゝ飛出してみると、中二階の下の久賀二本楠方面荷物置場の荷物が真赤に燃えていた。事務室に飛込み、交換手に一四番の九商が火事だといつて、表の道路に出て夢中で、「火事だ火事だ」と叫んだ。誰かに「何の火か」ときかれ、「電気かもしれん」と答えた。九商福江支店事務所へ報告に行つた際にも宿直の久保和貴に「何の火か」ときかれ、「電気」と答えた記憶がある」というものである。

被告人が自己の煙草の不始末を認める供述をしたのは、司法警察員警部大久保稔(昭和三七年九月二七日付供述調書、同年同月二八日付弁解録取書、同年同月三〇日付、同年一〇月一日付供述調書)に加え、司法警察員警部補木下俊幸(昭和三七年一〇月一三日付供述調書)、同警部陣内辰未(昭和三七年一〇月九日付実況見分調書)、裁判官溝渕亀澄(昭和三七年一〇月一日付勾留質問調書)、検察官検事羽田辰男(昭和三七年九月三〇日付弁解録取書、同年一〇月三日付、同年同月九日付供述調書)、同副検事三浦六三郎(昭和三七年一〇月一三日付供述調書)の合計六名に上つており、司法警察員陣内辰未作成の実況見分調書においては、焼跡の現場に立つて煙草の吸いがらを投棄した場所を指示したことが明らかである。

(ロ) 的野勘太郎(九商福江支店労務係長)の検察官に対する昭和三七年一〇月八日付供述調書によれば、本件倉庫中二階の七寸位下方すなわち、久賀二本楠方面荷物置場の上方六尺位の高さの所に、一〇〇ワット位の裸電球がぶら下つていた事実が認められる。

(ハ) 藤田ツル子(被告人の妻)の検察官に対する昭和三七年一〇月六日付供述調書によれば、同年九月二五日被告人は、午後五時過頃帰宅し、ビールを飲み、夕食を済ませ、小学六年生の長男に新生二〇本入一箱を買つて来させ、それを持つて午後六時頃家を出たこと、同女は、同夜午後八時過頃本件倉庫に赴き、門司の親類に電話をかけ通話の最中、飲み屋のマダムと女給が入つて来て被告人に三〇〇円の飲み代を請求したが、被告人は覚えがないと言つて否認していた。しかし、相手が商売だから飲まぬ人に請求には来ないというので、同女が支払つてやり、宿直室で被告人と暫く話をしたあと午後九時過頃倉庫を出て、帰宅した事実が認められる。

(ニ) 泊国光(九商労務員)の検察官に対する昭和三七年一〇月二日付供述調書によれば、同人は同年九月二五日が休日で出勤はしなかつたが、夜になつて倉庫内の電話を借用する必要を生じ、午後七時半頃同人の妻とともに、本件倉庫に赴き、電話をかける前に、被告人と宿直室で煙草を吸つた記憶がある。被告人は、新らしい煙草を吸つたように思う。同日の倉庫の状況は、いつものように、リンゴのもみがら、のこくず、こも包みの藁くず等がコンクリート土間の三分の一位の部分に散乱していたから今考えてみると、倉庫内のコンクリート土間の上に煙草の火や吸いがらを捨てると火事になる危険は十分に考えられる状況だつたと思う。火事の危険があるので、倉庫内では、煙草を吸つてはいけないと支店長等から申し渡されていたというのである。

(ホ) 原審証人谷川トシノの証言(第三回公判期日)によれば、被告人は、火事の前夜本件倉庫から約一五〇メートル離れた同証人経営のさかえ食堂にやつて来て、マッチの大箱から軸だけ取つて帰つて行つたこと、その時刻は午後九時か一〇時頃であつた事実を認めることができる。

(ヘ) 鈴木利雄(九商労務員、昭和三七年一〇月四日付)、荒木昭吉(九商労務員、同年同月四日付)の検察官に対する供述調書によれば、本件倉庫は、裏側が海上に面しているので、風当りが強く、内部に隙間風が可成り入つてくること、倉庫内はいつも藁くずや繩くず等が散らばつており、倉庫内の清掃は、倉庫番の梁瀬喜太郎、中野政和両名の担当であるが、同人らは多忙のためほとんど掃除しているのを見たことがなく、倉庫内に煙草の吸いがらを捨てると火事の危険は非常に大きいと思える状況であつた事実を認めることができる。

(ト) 原審証人寺田諦(九商労務員)の証言(第四回公判期日)によれば、本件倉庫内の清掃は、主として梁瀬喜太郎がしていたが、同人は火事の前日欠勤していた事実が明らかであるところろ、当審(差戻前)証人中野政和の証言(昭和四〇年七月二一日付尋問調書)および同人の検察官に対する昭和三七年一〇月五日付供述調書によると、九月二五日は、掃除したようにも思うが、掃除したかどうかはつきりしないこと、掃除するといつても大きな塵を箒で集め、裏の海に棄てるという簡単な掃除で、それでも一度に石油罐を斜めに切つた塵取りに八合目から一杯位塵が出ていた事実が窺われる。そして当審(差戻前)証人木村弘子(第五回公判期日)、原審証人中村ナル(第二回公判期日)、同林春子(第二回公判期日)の各証言によると、本件倉庫前は、平生こも包みや藁くずが散らかつており、九商の人は殆んど掃除しないので、同証人らが掃除していた事実、本件倉庫内は整理されていることもあつたが、大抵藁くず等が散乱している方が多く、内部の荷は雑然と積んであり、荷と荷の間だけでなく荷の下にも塵があつた事実、倉庫前を掃除したときの塵の重は、巾三〇センチメートル、奥行三四、五センチメートル、深さ一〇センチメートル位の木製の塵取りに二、三杯もあつた事実を認めることができる。

(チ) 原審証人寺田諦の証言(第四回公判期日)によれば、本件火災前、倉庫内の電気がつかないとかショートしたようなことはなく、またストーブなど火災の原因となる危険物は置かれていなかつた事実が明らかであり、また長崎県警察本部刑事部鑑識課技術吏員樋口喜八郎の昭和三七年一一月一〇日付鑑定書によれば、本件倉庫内貨物置場の貨物に自然発火性の貨物の含有は認められないことが窺われ、更に、福江測候所長作成の「気象資料について」と題する昭和三七年一〇月一日付書面によれば、九月二五日の実効湿度は、七七%、二六日七二%と低く、九月下旬に入つての雨量は、二五日までに僅かに一四ミリメートルに過ぎず、二五日昼過ぎから北ないし北々東の風が吹き風速(秒速)の平均七メートル瞬間風速一一ないし一二メートル突風まじりの風であり、夕方幾分衰え五メートルであつたものの、二六日午前二時5.7メートル、同三時7.5メートルと次第に強まり、瞬間風速一一メートル位の突風を伴つていた事実が認められる。

(リ) 原審証人才津イチ子の証言(第三回公判期日)によれば、昭和三七年九月二六日同人が福江電報電話局の宿直勤務についていると、午前二間二五分に「一四番です、火事だからお願いします」との電話があつた事実並びに一四番とは九商倉庫の電話番号である事実を認めることができる。

(ヌ) 被告人が中村ナルから「火元は何ね」ときかれ「電気だ」と答えた事実は、原審証人中村ナルの証言(第二回公判期日)によつて認められ、また被告人が道路上で「火事だ火事だ」と叫んでいた事実は、右証人および原審証人清水彦吉の証言(第二回公判期日)によつて認められること、前叙のとおりである。

(ル) 電気関係について

長崎県警察本部刑事部鑑識課技術吏員林田次盛外一名の昭和三七年一〇月三〇日付鑑定書によれば、火災現場の電気配線および電気器具に関して電気火災となる原因は認められず、また本件火災当時の気象条件に近い条件下にいて一〇〇ワット白熱電球をこも包みのこもに接触させて実験した結果では、温度一八五度まで上昇したに拘らず五時間通電してもかすかに黄色に変色した程度で発火しなかつた事実が認められる。この事実は、当審(差戻後)証人塚本孝一の鋸くず、せんい類の発火温度は二三〇度以上である旨の証言(第三回公判期日)によつても確認しうるところである。

なお、九州電力株式会社長崎支店長の「電球熱による発火に関するご照会に対する回答について」と題する昭和三九年一二月二五日付書面によれば、「電球が割れて火災になることがありうるか」との問題については、電球が割れるとフィラメントは必ず断芯しているのでフィラメント関係の電気発火はありえずまた電球が割れたときガラス破片が有している熱量は極めて少量なので他物を発火させることはありえないことが明らかである。

(オ) 鑑定の結果について

当審(差戻後)鑑定人塚本孝一の昭和四七年六月二〇日付鑑定書によれば、いこいおよび新生(二〇本入り)の二種類の煙草で、長さ二センチメートル、火のついた所を右手の親指と人指し指で一回ねじ切るようにした火のついている吸がら並びに火のついている吸いがらの火を手前からもみ出すような要領でもみ落した火塊をいずれも藁の上に置くか落すかして乾燥した藁に着火するか否かを実験した結果では、藁の大きさが1.2ミリメートルの極く小さいものでは、(A)いこいの吸いがらで、一〇回のうち四回、火種では一〇回のうち二回、(B)新生の吸いがらで一〇回のうち五回、火種では一〇回のうち二回それぞれ着火し、一五分以上経過しても燃焼し続けたが、1.2ミリメートル以上の藁くず、一センチメートル以上の藁では、着火しなかつた事実が認められ、実験時の湿度三九ないし五〇%、気温一九ないし二二度であるから、湿度の点では本件火災時より若干低いけれども、室内無風状態で行われているに対し本件火災時においては、既にみたように秒速5.7メートル以上の風が吹いていた点を考えると右実験の気象条件は、大むね本件火災発生時に近似しているといつて良く、その結果の信用性は大であると認められる。困みに右鑑定書は、有風が発火に対し極めて有利な条件であつて小さい藁に着火し無炎燃焼が可成り広がるとそれより生じた加熱力により大きい藁も加熱され、そこへ強風が吹き当ると無炎燃焼から有炎燃焼に変わり火災になり易いこと、殊に小さい藁が無炎燃焼している上に大きい藁がかぶさつている場合は、一層火災になり易い点を指摘するのである。

ところで、右鑑定書添付の藁屑と当審証人塚本孝一の証言によれば、右鑑定に際しては真新しい藁を屑にして実験したのであるが、使い古したよれよれの藁は新品の藁より著るしく着火し易いから、このように使い古した藁は長いものでも右鑑定に使用した1.2ミリメートルの細かな藁屑と同程度に着火することが認められるところ、本件倉庫内に散乱していた藁屑等は取扱のこも包等からすり切れるなどして生じたもので相当使い古したものであり、従つて長いものでも前示1.2ミリメートルの藁屑と同程度に着火し易いものであつたことが窺われる。

(四)  本件火災の原因について

叙上列挙にかゝる証拠並びに各事実を総合すると、被告人の供述調書における前示供述は、いずれの部分も補強証拠によつて完全に裏付けられ、本件火災が被告人の煙草の吸いがらの不始末を原因とするとの本件公訴事実は確実に証明されたものと認めるのが相当である。

成程被告人の吸つた煙草がいこいであつたか、新生であつたか、火の着いた吸いがらを指先でねじ切るようにして捨てたか、先を押し出すようにして捨てたか等の点については各調書によつて供述の差異を認められなくはないが、本件火災の原因を考察するに当つて決定的要因ではなく、被告人の過失の存在を左右するものではないこと、前示鑑定結果により明らかである。のみならず、前掲各証拠によれば、本件倉庫内における当日の塵の散乱状況は、火災の発生にとり誠に好都合な状態であつたといわざるを得ないのである。すなわち前叙のように、火災の前日は、倉庫内清掃の主たる担当者梁瀬喜太郎が欠勤していたためようやく二〇才に達したばかりの年の若い中野政和によつては万事行き届かず掃除したか否か不明であるばかりでなく、たとい掃除したとしても大きい塵を集める程度で小さい塵は殆んど残留していて本件倉庫内の大きな部分を占め、その塵は、藁包みやこも包みの荷物の下ににも拡がつていたものと推定される。しかも当日の気象条件は、可成りの風が吹き、乾燥していて古い木造の建物で裏側が海上(福江港)に面しているため相当強い風が倉庫内に入り込んでいたことは疑いがなく、かゝる絶好の条件下において、禁止されているに拘らず倉庫内で煙草を喫し火の着いた吸いがらか、火塊を倉庫内に投棄ないし落下させれば、まず小さい塵を燃焼させ、その加熱力により藁包み、こも包み等の荷物を有炎燃焼に導き火災の発生に至る物理的必然性を肯認することができ、この推論は、吾人の経験則に合致し、被告人の捜査機関に対する自白の供述は、いずれも自由な意思に基き自己の経験事実をありのまゝ陳述したと認められるのみでなく、その行為は宿直員の任務を懈怠背反した重大な過失があると認めるのが相当であつて、以上の点を考察することなく、被告人の原審における供述のみをとつて、本件公訴事実の証明が十分でないとした原判決は、弁護人の答弁書所論の諸点を考慮しても、証拠の取捨選択並びに価値判断を誤り、その結果、事実誤認の違法を犯すものであつて、破棄すべきである。論旨は理由がある。

三そこで刑事訴訟法三九七条三八二条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書により当裁判所において更に判決することとする。

(一)  罪となるべき事実

被告人は、長崎県福江市東浜町七三九番地所在の九州商船株式会社福江支店倉庫に労務員として勤務した者であるが、昭和三七年九月二五日午後六時頃から右倉庫の宿直勤務に就き、午後一〇時頃就寝し翌二六日午前零時過から一時頃迄の間一旦起きて煙草を喫しながら右倉庫内を見回つた際、煙草の吸いがらを完全に消火しないで倉庫内に投棄すれば、同所には藁くず等が散在し、かつこも包み荷物等が集積されていたゝめ、右吸いがらの火がこれらに引火する危険性があるにも拘らず不注意にも完全に消火しない吸いがらを倉庫内の藁くずに投棄してそのまゝ再び就寝した過失により、同日午前二時頃右吸いがらの火が藁くずに着火して附近荷物に燃え移り現に人の住居に使用する右倉庫およびこれに隣接する近辺の住家等三九七戸を焼燬するに至らしめたものである。

(二)  証拠の標目〈略〉

(三)  法令の適用

被告人の判示所為は、行為時法によれば刑法一一六条一項昭和四七年法律六一号による改正前の罰金等臨時措置法三条一項一号に、裁判時法によれば刑法一一六条一項罰金等臨時措置法三条一項一号に各該当するところ、右は犯罪後の法律により刑の変更のあつた場合であるから、刑法六条一〇条に則り、軽い行為時法を適用すべく所定罰金額の範囲内で被告人を罰金五万円に処し、右罰金を完納することができないときは、刑法一八条に則り金一、〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置すべく、なお原審並びに当審(差戻前および差戻後)における訴訟費用は、刑事訴訟法一八一条一項により全部被告人に負担させることとして、主文のとおり判決する。

(中村荘十郎 真庭春夫 仲江利政)

〈参考〉上告審判決

(最高裁昭和四四年(あ)第一六五号、失火被告事件、同四六年四月二〇日第三小法廷判決・破棄差戻、第一審福江簡裁、第二審福岡高裁(昭40.12.25判決))

主文

原判決を破棄する。

本件を福岡高等裁判所に差し戻す。

理由

弁護人神代宗衛、同田中万一、同古賀野茂見の各上告趣意について。

所論にかんがみ、職権をもつて調査すると、原判決には、以下説明する理由により、判決に影響を及ぼすべき法令違反、ひいては重大な事実誤認のあることの顕著な疑いがあるので、これを破棄しなければいちじるしく正義に反するものと認める。

一、本件公訴事実の要旨は、

「被告人は、福江市東浜町七三九番地所在の九州商船株式会社福江支店の倉庫労務員であるが、昭和三七年九月二五日午後六時ごろから右倉庫の宿直勤務につき、午後一〇時ごろ就寝し、翌二六日午前〇時五分ないし一時ごろまでの間にいつたん起きて、たばこを吸いながら右倉庫を見まわつた際、その吸がらを完全に消火しないで倉庫内に投げ捨てれば、同所にはわらくずなどが散乱し、かつ、こも包みやケースなどが集積されているため、右吸がらの火がこれらに引火する危険性があるにもかかわらず、不注意にも完全に消火しない吸がらを、右倉庫内の久賀、二本楠などの方面の荷物置場付近に投げ捨て、そのまま就寝した過失により、同日午前二時ごろ右吸がらから付近の荷物に燃え移り、現に人の住居に使用する右倉庫およびこれに隣接した付近の住家など三九七戸を焼燬するに至らしめた。」

というのであり、第一審は、被告人の司法警察員および検察官に対する各自白調書の任意性に疑いがあるとして、これらの各調書の証拠能力を否定し、その余の証拠をもつてしては犯罪の証明が十分でないとして被告人に対し無罪の言渡しをしたが、原審は、右各自白調書の任意性および真実性になんらの欠陥もなく、これらの調書とその余の証拠を総合すれば本件公訴事実は優にこれを認めることができるとして一審判決を破棄し、右公訴事実どおりの事実を認定したうえ、被告人を罰金五万円に処しているのである。

そこで、以下この点について検討を加えることにする。

二本件記録によると、被告人が起訴状記載の日時場所において倉庫の宿直勤務につき、午後一〇時ごろ就寝し、昭和三七年九月二六日午前〇時五分ごろか午前一時ごろいつたん起きて倉庫内を見まわつたこと、および同日午前二時ごろ同倉庫付近から出火し、右倉庫およびこれに隣接した付近の住家など三九七戸が焼けたことについては争いがないが、右見まわりの際被告人がたばこを吸い、その吸がらを倉庫内に投げ捨てたため、右吸がらから引火したとの点については、被告人は、同日の司法警察員の取調べにおいて否認しており、翌二七日付および一〇月一日付の司法警察員に対する各供述調書、同日付の裁判官の質問調書、同月三日付の検察官に対する供述調書等ではそれぞれ自白をしているが、同月一七日付の検察官に対する供述調書では再び否認し、同年一二月五日付で起訴された後も、第一審公判の冒頭から一貫して否認していることが明らかである。そして、記録によれば、これらの供述調書は、次のような経過および事情のもとに作成されたものであることがわかる。

被告人は、同年九月二六日午前二時ごろ火災に気づき目をさましたが、すでに手の施しようのない状態であつたので、とりあえず電話局に電話をかけて急報し、表にとび出して近隣に大声で火災を知らせ、同市大波止の前記会社福江支店に行つた。そして、午前三時ごろ福江署員から任意同行を求められ、承諾して同署におもむいたが、同署にも延焼の危険が迫つたので、署員同伴で福江中学校に行き、簡単な取調べを受けたうえ、さらに、署員同伴で捜査本部となつたキリスト教会におもむき、待機させられていた。

本件火災の捜査のため、長崎県警察本部から警部大久保稔が船で正午ごろ福江に到着し、被告人の供述によれば午後一時ごろから、右大久保の証言によれば午後三時ごろから、同人による被告人の取調べが始まり、途中一時間ぐらいずつの食事時間を除いて、午後一〇時すぎごろまで取調べが継続されたという。この日は、被告人は、失火の事実を認めていないし、供述調書も作成されていない。同夜被告人は、自宅に帰らず、警察署が焼けたため署員の臨時宿泊所にあてられていた善教寺に多数の署員とともに宿泊した。そのいきさつは、被告人の供述によれば、「大久保警部が、君は今日帰らん方がいいじやないか、署員と行つて寝なさいというので、おかしいとは思つたが、いうことをきかなければ怒られると思い従つた。」というのであり、大久保の証言によれば、「被告人は非常に興奮しており、自分はあれだけの大火を起こし町の人々の顔を見れないし、家族にも会いたくないというので、それならば、われわれも寺に泊るから、いつしよに泊りなさいとすすめたにすぎない。」というのである。

翌二七日被告人は署員に連れられて前記キリスト教会におもむき、被告人の供述によれば午前八時ごろから、大久保の証言によれば午前九時ごろから、同人による取調べが始まり、午後おそくなつて被告人の自白が始まつた(この日も前日と同様一時間ずつぐらいの食事時間のほかは取調べが継続された。)。その経過は、被告人の供述によると、前日に引き続き取調べは被告人の失火の一点に終始し、「たばこをすう人間が九時ごろすうてからずつとすわんということがあるか。」「君がひとりいたんじやないか。君は責任感がないじやないか。」「白状せろ、思い出せ、考え方が足らない、警察をなめるな、君がいうまで絶対に思い出すまではやめない。」「思い出さんというなら、君の調書は放火でとる、いいかね。」「放火で調書をとつたら一〇年の懲役にいくぞ、それでもよいか。」等々その他第一審判決に判示してあるような問答をもつて大久保警部から自白を強制され、当夜宿直であつたから、責任を感じ、身におぼえのない自白をするに至つたというのであり、大久保の証言によると、「被告人は非常に正直な人で素直であつた。たばこをすつたろうとそのことだけを追及したことはない。二七日の夜になつて、被告人が、よく考えてみると自分がたばこをすつたような気がするという話が出たので、調書をとつた。」(第一審)、「二六日は、とおり一ぺんのことを聞いただけで、たばこの不始末については追及していない。被告人から否認の供述を聞いていない。二七日の午後三時か四時ごろたまたまたばこをすつたかどうかの点に話が進んだとき、急に被告人の態度がかわり、私のたばこの不始末ではないかと思うといつて、机に伏せ泣いて自供した。」(原審)というのである。

しかし、記録にあらわれている本件捜査の端緒に照らし、大久保警部の取調べの焦点が、最初から、被告人が当夜たばこをすつたかどうかの一点にしぼられていたことは明らかであり、九月二六、二七日両日の前記長時間の取調べが、主として「たばこをすつたろう」「すわない」の押問答に終始したであろうことは推察にかたくない。のみならず、同警部の取調状況に関する被告人の供述(第一審)は、その描写が詳細をきわめており、実際に体験した者でなければ表現しがたいような迫真性を帯びているのに対し、他方、事実を掲げての被告人からの反対尋問に対する大久保証人の応答(第一審)はあいまいな点が多く、取調べの実態はある程度被告人の主張する状況に近いものがあつたのではないかという疑惑をぬぐい去ることができない。

かくして、右自白に基づき、被告人の司法警察員に対する昭和三七年九月二七日付供述調書(以下A調書と略称する。)が作成され、当日被告人の妻が急病で倒れたという事情もあつて、被告人は同夜一〇時ごろ署員同伴で自宅に帰された。その際、被告人宅に居合わせた太田ヲミ、中村忠、太田栄、堀脇喜三郎の一致した証言によれば、被告人はこれらの人々に対し「無実の罪に陥し入れられ残念でならん、孫子の代まで警察官にはなさん。たばこをすつていないといつても警察はきかんで無実の罪をきらにやならんようになつた。」といつて涙を流したという。

翌二八日午前八時ごろ被告人は任意同行を求められ、承諾して再びキリスト教会におもむき、大久保警部の取調べを受け、午後七時五五分逮捕状の執行を受けた。そして一〇月一四日釈放されるまでの間に、被告人は、司法警察員に対する同年一〇月一日付供述調書(以下B調書と略称する。)同日付の裁判官の質問調書、検察官に対する一〇月三日付の供述調書(以下C調書と略称する。)等の自白調書を作成された。被告人の供述によると、検察官に送致される直前、被告人は大久保警部から、「この調書にないようなことをいつて、判検事の腹を立てさせたら、軽い罪でも重くなる。いまは、罰金一〇〇円から五万円までで大したことはない。よく考えて、判検事の前でもまちがいないといつておればよい。」旨の誘導を受けたというのであるが、大久保の証言によれば、検察官のところへ行つたらありのままのことを正直に話しなさいと助言しただけであるという。いずれにしても、被告人としては、もう警察でうその自白をして無実の罪をきてしまつた以上今さらどうしようもないという心境から、裁判官の勾留質問および検察官の取調べの際も同様の自白をしたと述べているのである。

ところが、被告人は、釈放されたのちの一〇月一七日福江から長崎におもむき、前回被告人を取り調べた検察官羽田辰男に依頼し、同日付の否認調書を作成してもらつた。その要旨は、次のとおりである。

「私はたばこを夜中にすつた記憶がないので、二六日午後一時から午後一〇時近くまでの大久保警部の調べでは、その点は強く否定しておいた。調べは福江教会で行なわれたが、大久保だけに調べられた。乱暴されたこともないし、おどかされてもいない。二七日は、朝八時すぎから夜七時ごろまで大久保から福江教会で調べられた。食事はいずれもすませてある。このときは、『倉庫内の電気や危険物からの火ではない。おまえのたばこの火だろう。』と何回も何回も追及されるので、午後七時ごろこれを認めてしまい、夜中にたばこのすいがらを捨てたという調書ができた。調書をとり終つたのは夜の一〇時ごろだつたと思う。」

以上が、本件記録にあらわれた本件各自白調書作成のいきさつに関する諸事情であるが、進んで各自白調書の内容について検討を加えることにする。

三前記A、B、Cの各調書を比較してみると、被告人が目をさました時刻と倉庫内の見まわり方については、特段のくいちがいがみられないが、たばこのすい方については、Aによれば「土間に腰をおろしてすつた。」、Bによれば「寝たままですつた。」、Cによれば「寝たままで半分ぐらいすい、そのあとで土間に足をおろして一、二服すつた。」と、かなりのくいちがいがみられる。また、たばこの火の消し方、すいがらの捨て方については、根本的なくいちがいとはいえないまでも、A、B、C間にそれぞれ微妙な差異がみられる。

さらに、出火のあとたばこの火の不始末のあつたことを思い出した時期については、結果発生後の事情であるから、被告人としてことさら作為を弄する必要のないことがらであるのに、次のような顕著なくいちがいがみられる。

A調書「荷物の炎上を見たとき、私は瞬間的に、これは一時ごろ自分が起きて、タバコのすいがらをそのまま捨てた記憶があつたので、そのタバコの火から発火し、荷物に燃え移つたものと直感しました。」

B調書「火事を知つた瞬間何から火が出たのかふしぎに思つた。だれかが『何の火か』と聞いたので、『火のないところから出たから電気だろう』と言つたと思う。事実自分は、電気か自然発火ではないかと思つていた。しかし、よく落ちついて考えたら、その前にタバコをすつて、火をもみ消し、すいがらを捨てたことを思い出したのである。」

C調書「警察に調べられた夜、寝ながら色々考えてみて、夜中にタバコをすつたこと、その火をはつきり確認せずに捨てたこと、しかもその捨てた場所が燃えていたことを思い出し、はつとした。」

四、以上要するに、未曾有の大火直後の混乱した状況下に行なわれた捜査として、ある程度異例の処置をとることもやむをえなかつたであろうが、任意捜査のかたちをとりながら、前記のとおり九月二六日、二七日の両日長時間の取調べが継続され、その間警察官の臨時宿泊所に警察官とともに宿泊させられるなど、強制捜査に近い状況のもとに被告人の取調べが行なわれたこと、大久保警部の取調べ状況については前記のような疑惑があること、各自白調書の内容についても前記のようなくいちがいがみられることなど、これまでに検討を加えてきた諸事情を総合すれば、前記の各自白調書につき、いまだ供述の任意性を否定するまでにはいたらないにしても、その信用性はかなり乏しいものとみるのが相当であり、他の補強証拠の証明度が高くないかぎり、これらの自白調書の記載を重視して被告人の過失を認定することは、いちじるしく合理性を欠くものといわなければならない。

五また、原判決は、当時本件倉庫にわらくず等がまつたく土間に残つていなかつたという保証はないし、当時の風速などから燃焼を助長する状況にあつたことがうかがわれるから、被告人が各自白調書に述べたようなたばこのすい残りの捨て方によつて、在庫の荷物に燃え移る蓋然性がないとは到底考えられないと判示しているので、この点について検討を加えてみることにする。

本件記録中には、たばこのすいがらによるわらくず等への着火の可能性について、実験の結果を記載した証拠資料が二つ存在する。その一つは、原判決が証拠の標目に掲げた熊本大学教授四宮知郎作成の鑑定書、その二は、科学警察研究所技官萩原隆一作成の「火災原因等の調査についての回答」と題する書面である。

四宮知郎作成の鑑定書によると、たばこのすいがらの残り火、またはねじ切つた着火部分の残り火が、わら類等による「ごみ」に接して着火するかどうかについて、五通りの態様につきそれぞれ三回ずつ、すなわち合計一五回の実験が試みられたが、そのうち着火したのはわずか一態様だけで、しかも、その態様というのは、たばこのすいがらをわらの中に倒立させ、その周囲を糸くず状にしたわらくずで包み、空気を適当に供給した場合にようやく成功した、というのである。次に、萩原隆一作成の前記書面によると、実験試料を十分に乾燥させたうえで、たばこのすいがらがこもと段ボールへ着火するかどうかについて多数回の実験が試みられたが、第一に、こもに対しては、無風の場合には一回も着火せず、微風の場合には、新生が三〇回のうち一回、いこいが二〇回のうち一回着火したが、これはすいがらをこもの合わせ目にさしこむようにおいた場合であり、ハイライトとピースは一回も着火しなかつた、第二に、段ボールのパッキングケースに対しては、無風の場合には一回も着火せず、微風の場合には、新生が二〇回のうち一回、ハイライトが一五回のうち一回着火したが、これはすいがらを段ボールの合わせ目にさしこむようにおいた場合であり、いこいとピースは一回も着火しなかつた、第三に、こもと段ボールの合わせ目にすいがらをおいた場合は一回も着火しなかつた、というのである。

以上の各実験によると、最適の条件下においてさえ、たばこのすいがらによるわら、こもまたは段ボールへの着火はきわめて困難であつて、たばこのすいがらを倒立させ周囲を糸くず状にしたわらくずで囲んで適当な空気を供給するとか、こもまたは段ボールの合わせ目の中にすいがらをさしこむなどの慎重な人工的、技巧的手段を講じた場合にだけわずかに着火の可能性があるとされたことが明らかである。

してみれば、前記被告人の各自白調書の記載内容が仮に真実であつたとしても、被告人は当夜、たばこのすいがらの火をもみ消し(B調書)、または、ねじ切るようにしてむぞうさに捨てた(C調書)というのであるから、そのような態様においては、すいがらによる着火の可能性がほとんどなかつたのではないかという疑いが濃厚であり、少なくとも、被告人の自白どおりの態様による実験を試みることなしに、原審が本件において着火の蓋然性があつたと即断したのは、なすべき審理をつくさず、証拠の証明力の評価を誤つた違法があるものといわざるをえない。

その他、本件記録をつぶさに調べてみると、被告人の喫煙以外の発火原因の存在を積極的に推測させる資料は見あたらないが、同時に、本件火災が他の発火原因によるものであることの可能性を否定し去る資料も見あたらず、むしろ、被告人は平素まじめな性格であつて、当夜も特に火気に注意を払つていた事実がうかがわれるので、本件において被告人に原判決認定のような失火があつたと断ずるにはなお合理的な疑いをさしはさむ余地があり、原判決が補強証拠に採用した全証拠をもつてしても、なお前記各自白調書の乏しい証明力を補うに足りないものといわなければならない。

したがつて、これらの諸点につき十分検討を加えることなく、前記各自白調書の信用性をたやすく認めて被告人の本件失火事実を認定した原判決には、判決に影響を及ぼすべき法令の違反があり、ひいては重大な事実誤認のあることの顕著な疑いがあつて、これを破棄しなければいちじるしく正義に反するものと認める。

よつて、論旨に対する判断をするまでもなく、刑訴法四一一条一号、三号により原判決を破棄し、同法四一三条本文により本件を原裁判所である福岡高等裁判所に差し戻すこととし、主文のとおり判決する。

この判決は、裁判官下村三郎の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見によるものである。

裁判官下村三郎の反対意見は、次のとおりである。

本件各上告趣意のうち、憲法三三条、三四条違反をいう点は、本件記録に徴しても、被告人が違法に身柄を拘束されたと認めることはできないから、所論はその前提を欠き、その余は、すべて単なる法令違反および事実誤認の主張であつて、いずれも、適法な上告理由にあたらない。

多数意見は、職権で調査をした上、原判決には判決に影響を及ぼすべき法令の違反があり、ひいては重大な事実誤認のあることの顕著な疑いがあり、破棄しなければいちじるしく正義に反するものとして、破棄の上原審へ差し戻すべきものとしたが、検察官の控訴趣意およびこれに対する原判決の判断は、いずれも、正当として首肯するに足り、また、第一審判決を破棄の上自判した場合における原判決の事実の認定は、挙示の証拠に照らし、多数意見のいうような違法は認められないから、本件上告は、棄却すべきものと考える。

わたくしの意見は、以上をもつて尽きるのであるが、多数意見が原判決には判決に影響を及ぼすべき法令の違反があり、ひいては重大な事実誤認のあることの顕著な疑いがあるとする具体的内容は、被告人の司法警察員および検察官に対する各自白調書(A、B、およびCの各調書)中の供述は、いまだ供述の任意性を否定するまでにはいたらないが、その信用性はかなり乏しいものとみるのが相当であり、他の補強証拠の証明度が高くないかぎり、これらの自白調書中の供述を重視して被告人の過失を認定することはいちじるしく合理性を欠くものといわなければならない、としているので、被告人の供述の任意性および補強証拠につき、多少の意見を付け加えておきたいと思う。

第一 被告人の供述の任意性について。

多数意見も、右のとおり、被告人の供述の任意性を否定するまでにはいたつていないので、この点については多くを論ずる必要を認めないが、左記(一)および(二)の点を併せ考えれば、被告人の供述の任意性は十分であつて、決して乏しいものということはできないと考える。

(一) 第一審で証拠調をした証拠のうちに、昭和三七年一〇月一日付裁判官の被告人に対する勾留尋問調書(第一審判決にいうD調書)(記録第三冊八五九丁)がある。この調書は、被告人に対し勾留請求がなされた際、被告人が裁判官から勾留請求書に記載された被疑事実を告げられ、「その晩私が宿直の当番で六時過ぎ頃その任につきました、午後一〇時頃一旦寝ましたが、一一時頃目がさめて、あたりを見廻しましたが別に異状なく、又寝ました、それから一二時頃から午前一時頃にかけて目ざめ、その時も確めたが別に異状なく、只この時「いこい」一本をすつて、つめさきで消して土間へ捨てました、しかし、私が午前二時過ぎ頃目がさめたら宿直室と事務室の間にあつた荷物がもえ上り、とうてい手をつけられなかつたので、直ぐ電話交換手に火事と伝えてくれと云いました、失火場所は私が見廻つた時も何ん等異状がなかつたので、私が指先で消したと思つて捨てた煙草の火が消えておらず、それが土間にあつたちり等にもえ移つて、この度の大火になつたものと思います。誠に申訳けないことを致しました」と陳述した旨の記載があり、その内容は、被告人が犯罪事実を自白した調書である。被告人に対しこの供述を求めた際には、裁判官は、終始沈黙し、また個々の質問に対して陳述を拒むことができる旨、すなわち、いわゆる供述拒否権があることを告げるなど、刑訴法の要求する方式はすべてこれを履践しており、さらに、この調書は、証拠調をするとき、被告人側において証拠とすることに同意している(記録第三冊八〇一丁)のであつて、右D調書については、その作成された経過からみて、その内容をなす被告人の供述の任意性は十分にあるものといわなければならない。第一審判決においては、前記AないしC調書はその任意性に重大な疑いを懐かざるをえないとして、証拠能力がないものとして排除したが、右D調書については、一たんはその内容を引用しながら、証拠能力については何ら触れるところがない。

(二) 多数意見は、「同(大久保)警部の取調状況に関する被告人の供述(第一審)は、その描写が詳細をきわめており、実際に体験した者でなければ表現しがたいような迫真性を帯びているのに対し、他方、事実を掲げての被告人からの反対尋問に対する大久保証人の応答(第一審)はあいまいな点が多く、取調べの実態はある程度被告人の主張する状況に近いものがあつたのではないかという疑惑をぬぐいさることができない。」といつている。被告人の右供述と証人の右証言といずれを信用すべきかは、結局裁判官の自由な心証によつて決せられることはいうまでもないが、多数意見は、被告人の右供述や証人の右証言のうち、どの部分を捕えて右のようにいうのか必ずしも明らかでなく、全般的にみて、被告人の右供述の方がより迫真性を帯びているとは思われない。

第二 補強証拠について。

一般的にいつて、放火または失火の場合、ことに、それが既遂となり、犯行の対象となつた建造物が焼失したような場合、または失火のように格別の動機がない場合には、犯行を目撃した者がないかぎり、犯行に直接関係がある補強証拠を収集することはきわめて困難であり、各種の状況を補強証拠として判断を下すことも、またやむをえないところである。

多数意見は、補強証拠の証明度が高くないかぎり、被告人の自白を重視することはできないといつているものの、多くを後記四宮知郎作成の鑑定書および萩原隆一作成の「火災原因等の調査についての回答」と題する書面の内容の解明にあて、本件について補強証拠としていかなる程度のいかなる証拠を必要とするのか、詳説していないが、わたくしは、前記のように、被告人の自白の任意性は十分であるし、以下の(一)ないし(七)の状況をもつて、十分な補強証拠となしうるものと考える。

(一) 原審第一回公判における被告人の供述(記録第五冊一七二〇丁)によれば、被告人は、本件火災が発生した前日の九月二五日午後六時ごろ九州商船株式会社福江支店の倉庫(以下本件倉庫という。)の宿直勤務につき、午後一〇時ごろ就寝したのちは、同倉庫内には被告人一人のみおり、就寝前施錠をし、たやすく外部から倉庫内に入ることができない状況にあつたことおよび被告人は、右宿直勤務をするにあたり、自宅からたばこ、新生か憩の二〇本入りの新しいものを持参したことが明らかである。

(二) 右公判における被告人の供述および第一審第三回公判における証人清水ナルの供述(記録第三冊五〇三丁)によれば、本件火災の火元は、本件倉庫内であることが明らかである。

(三) 第一審第四回公判における証人鈴木利雄の供述(記録第三冊五四六丁)および同人の検察官に対する供述(記録第三冊八二一丁)によれば、本件倉庫内のごみ屑は、常時あまり掃除されず、繩の切れはしや屑、紙切れ、菰包みの屑等が散乱してり、九月二五日の夕方も、中二階の下の荷物置場附近には、いつものとおり、藁屑、繩の切れはし等が散乱していたことが明かである。

原判決は、「当裁判所における事実取調べの結果に徴しても、前記九商倉庫には菰包或はケース入等の諸荷物が集積されており、その入出庫に際し藁屑等が散乱して、夕方掃除することがあつても、これが全く土間に残つていないとは保証し難い」と判示しているが、自判した場合に右各証拠を証拠の標目に掲げていることからみても、決して右のようにごみ屑の散乱していた事実を否定しているわけではなく、控訴審における事実取調べの結果によつても、本件倉庫内に藁屑等が残存していなかつたと断定できないということを明らかにしたに止まるものと考える。

(四) 右鈴木利雄の検察官に対する供述によれば、本件倉庫にはカーテンはなく、宿直室の裏は海で風当りが強いため、倉庫内には隙間風がかなりあり、雨戸を閉めても入つてくる状況にあつたことが明らかである。

(五) 福江測候所長代理から九州商船株式会社福江支店支店長池田利郎に宛てた昭和三八年三月二七日付「気象証明の交付について」と題する書面(記録第四冊一六一七丁)および添付の福江測候所作成の証明書並びに熊本大学教授四宮知郎作成の鑑定書(記録第三冊九七九丁)によれば、福江市地方は、昭和三七年八月一日以降本件火災発生の日である九月二六日までの間、八月九日、一六日、二一日に時々小雨があつたほか降雨はなく、連日平均秒速2mないし9mの風が吹いており、特に、九月二三日ごろから最大風速11m以上の風が吹きつけ、九月初旬90%ぐらいであつた実効湿度が急に80%以下にさがり、九月二五日、二六日の両日には、最小湿度52%、実効湿度72となり、八月一日以降の最乾燥期であつたことが認められる。

(六) 長崎県警察本部刑事部鑑識課長から福江警察署長に宛てた昭和三七年一〇月三一日付および同年一一月一三日付各鑑定書送付書(記録第一冊六五丁および九六丁)並びに各添付の鑑定書の鑑定の結果によれば、本件火災の原因は洩電、ショート、白熱電球の接触など電気を原因とするものではなく、また自然発火によるものではないと認めるのが相当である。

(七) 多数意見は、右熊本大学教授四宮知郎作成の鑑定書および科学警察研究所技官萩原隆一作成の「火災原因等の調査についての回答」と題する書面(記録第四冊一六二五丁)につきその内容を検討し、これらの書面に記載された実験の結果によると、「被告人の各自白調書の記載内容が仮に真実であつたとしても、被告人は当夜、たばこのすいがらの火をもみ消し(B調書)、または、ねじ切るようにしてむぞうさに捨てた(C調書)というのであるから、そのような態様においては、すいがらによる着火の可能性がほとんどなかつたのではないかという疑いが濃厚であり、少なくとも、被告人の自白どおりの態様による実験を試みることなしに、原審が本件において着火の蓋然性があつたと即断したのは、なすべき審理をつくさず、証拠の証明力の評価を誤つた違法があるものといわざるをえない。」としている。

右各書面に記載された実験の経過および結果は、多数意見のいうとおりであり、実験の結果着火した場合の割合が低度であつたことは、否定することができないが、右四宮知郎作成の鑑定のうち(記録第三冊九七〇丁)には、「自然燻焦の煙草でわらに着火する実験をしてもなかなか着火しないものである。ねじ切り煙草の残火や落下火塊による着火は一層困難である。しかし同様の原因から過去幾多の火災が発生している。一見消えたと思われる残火より着火、火災が生ずることは、強風にさらされ乾燥した器物により、実効湿度の低い大気中ではしばしば起ることである。」との記載があるから、右各書面記載の実験の結果によつて全く着火の可能性がなかつたとはいいえないと思う。多数意見は、少なくとも、被告人の自白どおりの態様による実験を試みるのでなければ審理不尽の違法があるというが、審理の対象とされている被告人の行為は過失犯であつて、その行為の内容は、たばこのすいがらあるいはたばこをねじきつた部分に火が着いていたにかかわらず、不注意にも火が着いていないものと思つてその着火部分を捨てた結果火災となつたというのであつて、本件火災が被告人の行為によるものとしても、被告人といえども、着火の程度および着火した部分の落下した場所の詳細な状況は認識していなかつたわけであるから、被告人の自白どおりの態様による実験を試みることなしに、着火の蓋然性があつたと即断するのは審理不尽であるというのは、当事者の立証に難きを強いるものといわざるをえないであろう。

(松本正雄 田中二郎 下村三郎 飯村義美)

〈参考〉 差戻前控訴審判決

(福岡高裁昭和四〇年(う)第一九六号、失火被告事件、同四〇年一二月二五日第二刑事部判決・破棄自判、原審福江簡裁)

主文

原判決を破棄する。

被告人を罰金五〇、〇〇〇円に処する。

右罰金を完納することができないときは、金一、〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

原審並びに当審における訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

検察官村上三政が陳述した控訴趣意は、記録に編綴の検察官苦田文一提出の控訴趣意書に記載のとおり(但し二六枚目表九行目の「これと前記第一掲記の」とあるのを(これと後記第三掲記の」と訂正する。)であり、これに対する答弁は、弁護人古賀野茂見、同神代宗衛連名で提出の答弁書(記録編綴)に記載のとおりであるから、これを引用する。同検察官の控訴趣意(理由不備乃至は訟訴手続の法令違反及び事実誤認)について、

よつて記録を調査するに、本件公訴事実によれば、被告人が福江市東浜町七三九番地所在九州商船株式会社福江支店倉庫において、昭和三七年九月二五日午後一〇時頃宿直室で就寝し、翌二六日午前零時五分乃至午前一時頃までの間に一旦起きて煙草を喫しながら宿直室から倉庫に出て中二階下部荷物置場附近で辺りを見渡した際、一寸位になつた吸いかけを右手親指と人差指で捻じ切るようにして火が消えているものと信じ荷物の傍に投げ棄てたが、これが完全に消えていなかつたため、附近の藁屑に、さらに荷物に燃え移り、倉庫内に燃え広がつたことが出火の原因であるというにあるところ、被告人は原審公判において右時刻頃に一旦起きて倉庫内を見廻したことなく、煙草を喫つて吸殻を捨てた事実はないと主張するに反し、警察官及び検察官の取調べに対しては、いずれも公訴事実のとおり認め、裁判官の勾留質問調書においても、同様な供述をしているのである。そして原判決は被告人の司法警察員並びに検察官に対する各自白調書には任意性がなく、証拠能力を肯定できないとし、これを除けば公訴事実を認定するに足りる証拠は存しないと判断し、被告人に無罪を言渡したことが明らかである。

しかしながら、原審がその証拠能力を排斥した被告人の各自白調書以外の原裁判所において取調べた証拠に徴すると、(一)昭和三七年九月二六日午前二時過頃前記九商福江支店倉庫から出火し、旧倉庫及び近辺の現に人の住居に使用する家屋等三九七戸が焼燬したこと(二)被告人は同倉庫に勤務する労務者であり、九月二五日午後六時頃から宿直勤務に就き、午後一〇時頃就寝したが同倉庫は内部から鍵がかけられて外からは出入が遮断されていたし、同夜は被告人以外には何人も居合せなかつたこと、(三)右火災は九商倉庫から燃え拡がつて行つたものであつて、倉庫内に自然発火を考えられる物件は存せず、漏電等電気を原因とするものと推定される形跡はないことが夫々認められる。のみならず、被告人は当審において、同夜煙草二〇本入一個を持参して宿直勤務についてから喫煙したこと、九月二六日午前一時頃一旦起きて倉庫を見廻したこと、午前二時頃パチパチと燃える音で目を覚し、且つ物が焼ける臭気を感じたが、倉庫内の二本楠と久賀行きの荷物置場の荷物が中二階の天井まで燃えあがつて、火勢はものすごく、火事を知らせる電話をして、表に飛び出し近隣に火災を知らせて倉庫に引返したときには既に倉庫内には入れぬ状況だつたので、福江支店事務所まで走つて行た旨供述しているのである。これらの諸点のほか、原審が証拠能力を否定する被告人の捜査官に対する各供述調書を仔細に検討すると、以下説示するように原審の叙上の判断の論拠とする事由は是認することができない。すなわち、

先づ原判決は前記自白調書の任意性を否定する理由として、捜査官が被告人を当初参考人として取調べ、次に被疑者として逮捕するまでの取調の過程において、刑事訴訟法の諸条章乃至は精神に準拠して取調がなされていないことを掲げているが、捜査官が被告人を本件失火の参考人として取調べたところ、火元と見られる該倉庫に宿直員として唯一人所在し、喫煙の習癖があることから、被告人の煙草の火の不始末による失火ではないかと疑惑を抱いたことは当然であり、同人が夜間吸い残しの煙草を棄てた旨供述したことにより失火原因について嫌疑をかけ、被疑者として逮捕状を執行した措置に非難すべき点は見当らず、参考人としてその取調べによる調書を作成していないことを以て直ちにその後の取調べが違法となるものとは断定できない。また九月二六日午後被告人を警察官らの宿泊する善教寺に宿泊させたことについては、同人は九月二七日に犯行を自白して後、妻の急病を知らされて自宅に帰つたのであるが、その前夜は大火災の直後でもあり、被告人のみが宿泊していた前記九商倉庫から出火して大火災になり市民に迷惑をかけたので、家族にも会いたくないとの心情から、自発的に右善教寺に宿泊を申出たものであることを窺うに十分であり、被告人の原審公判における供述以外にはその意思に反して泊められたものであることを推測すべき資料はなく、その意思に反して泊められたことが九月二七日の自白に関連があると見ることはできない。さらに検察官から同人に対する裁判官の尋問を請求していないことは毫もこれを不当とはいえないし、他に被告人に対する取調べに違法があつたことを肯定する証拠は見出し得ないところである。

次に、被告人の各供述調書の被告人の失火事実を肯定した供述の記載の間に喰違いがあることから、その各供述調書の任意性に疑があるとする点について考察するに、原判決が指摘する煙草の吸い方、宿直室を出て戻るまでの足どり、吸殻を捨てた位置、吸殻の火の消し方及び捨て方等に見られる相違は、当初の簡略が次第に詳細となつていることは看取されるとしても、その差異は細末な部分に関するものであつて、相互に相排斥するような本質的な矛盾を含むものとは解し難く、単に表現上若干の差異と見られ、各供述自体の真実性について致命的な欠陥ということはできず、この点から各供述調書の任意性を排斥する事由とするのは早計の憾みがある。蓋し、被疑者は取調官からの強制、誘導がないときにおいても、捜査の進展につれその供述が詳細となり、重要な事項に関すると否とに拘らず、主要の事実たると附随事実たるとを問わず、供述事項に増加、変更がなされ、より具体化することは往々にしてあり得ることであり、且つ同一人による同一相手の取調べに対する答も、何等の意図が働かなくとも、時を異にするに従つて多少の差異を見せることは経験則に照して明らかであるからである。

更に原判決が指摘する昭和三七年一〇月一七日付羽田検察官作成の被告人の供述調書において、被告人は夜半九商倉庫内で煙草の吸殻を捨てた旨の警察官や検察官に対する供述は虚偽のものであると述べているけれども、同調書中では大久保警部からは従来無理な取調べを受けていないと述べながら、原審公判に至つて始めて同警部から脅迫的な取調べを受けたと主張するに至つた経緯、同調書は九州商船の福江支店長と共に長崎に赴き、弁護人から本件について助言を受けて、自ら検察庁に出頭し、三浦副検事の許に行くよう指示されながら、羽田検事の取調を求めて供述したものであるが、前記九月二六日に善教寺に泊つたのは自ら希望したものでないこと、その他警察官から脅迫的な取調べを受けた事情について何等述べていないこと及び被告人が公判において大久保警部から失火の方法について指示されたという第一の方法は大久保作成の九月二七日付の自白調書には記載なく、一〇月一日付の自白調書以後のものにこれが記載されているが、第二の方法すなわち、荷物に押しつけて火を揉み消したことについては、遂に何れの自白調書にも出ていないこと、その他一〇月一七日付否認調書と原審公判における否認の供述との間に大きな喰違があること等諸般の状況に照し、同警部から強制、誘導された結果により自供したものとは認め難い。

のみらず、検察官に対する事件送致前に大久保警部が被告人に対して為した発言を以て、被告人に心理的影響を与え、これが検察庁における虚偽の供述となつたと推測するに足りる資料はなく、公判廷における証人としての大久保警部が被告人から質問された際の態度や供述内容から原判決説示のように同警部作成の自白調書の任意性を否定することについては、公判廷において極力捜査段階における自白を覆えそうとする被告人の主張のうちに、往々真実に反するものがあり得ることに徴し、原審の判断は些か先入観に囚われた嫌がないでもないと見られるので、たやすく同調し難く、他にその任意性に疑があるとすることを首肯させるに足りる理由は示されていない。

なお、原判決のいうように、被告人が警察官の強制誘導乃至は不当な示唆による影響下において、検察官に対する供述に際しても虚偽の自白をしたものとする点については、被告人自身原審公判廷において検事からは押しつけられたこともなく、正直に述べた旨供述していること、検察官調書の内容自体、これを他の証拠と対比することにより、その任意性を疑うべき事由は見出し得ない。

それ故、原判決が説示するように、被告人の捜査段階における各自白調書の任意性を否定する合理的理由は発見することができない。

而して当裁判所における事実取調べの結果に徴しても、前記九商倉庫には菰包或はけケース入等の諸荷物が集積されており、その入出庫に際し藁屑等が散乱して、夕方掃除することがあつても、これが全く土間に残つていないとは保証し難いし、右倉庫等には隙間などがあり、当時の風速などを勘案しても燃焼を助長する状況にあつたことが窺われ、被告人が各自白調書及び一〇月九日付実況見分調書に見られるような煙草の吸い残りの捨て方によつて、在庫の荷物に燃え移る蓋然性がないとは到底考えられないこと、被告人の裁判官による勾留質問調書、出火当時の状況並びに該倉庫内の様相に関する各関係者の供述があることからしても、被告人の司法警察員及び検察官に対する各供述調書の任意性、並びに真実性には何らの欠陥もなく、その信憑性を否定するに由ないので、これらを綜合して考察すれば、本件公訴事実は優にこれを認め得られるものといわねばならない。

然るに、原判決が、証拠能力が認められない被告人の自白調書のほかにはその有罪を認定すべき証拠がないと判断したのは、ひつきよう、証拠の証明力の判断を誤り、且つ適法な証拠の判断を遺脱したものであつて、判決の理由不備乃至は事実誤認の過誤があるものというべく、その誤りは判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、原判決は破棄を免れない。論旨は理由がある。

そこで、刑事訴訟法第三九七条第一項に則り原判決を破棄し、同法第四〇〇条但書に従い更に自ら判決することとする。

(罪となるべき事実)

被告人は長崎県福江市東浜町七三九番地所在の九州商船株式会社福江支店倉庫に労務員として勤務する者であるが、昭和三七年九月二五日午後六時頃から右倉庫の宿直勤務につき、午後一〇時頃就寝し、翌二六日午前一時頃一旦起きて煙草を喫しながら右倉庫内を見巡つた際、その吸殻を完全に消火せずに倉庫内に投棄すれば、同所には藁屑等が散在しかつ菰包、ケース等が集積されていたため、右吸殻の火がこれらに引火する危険性があるにも拘らず、既に火気はないものと軽信して不注意にも完全に消火しない吸殻を倉庫内久賀・二本楠等方面荷物置場附近に投棄してそのまま再び就寝した過失により、同日午前二時頃右吸殻より附近荷物に燃え移り、現に人の住居に使用する右倉庫及びこれに隣接した同所附近の住家等三九七戸を燃燬するに至らしめたものである。

(証拠の標目)〈略〉

(法令の適用)

被告人の判示所為は刑法第一一六条第一項、罰金等臨時措置法第三条第一項第一号に該当するので、その所定罰金額の範囲内で被告人を罰金五〇、〇〇〇円に処し、右罰金を完納することができないときは、刑法第一八条に則り金一、〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置することとし、原審における訴訟費用は刑事訴訟法第一八一条第一項本文に従い被告人をして負担させることとする。

よつて主文のとおり判決する。

(岡林次郎 山本茂 松田冨士也)

〈参考〉 第一審判決

(福江簡裁昭和三七年(ろ)第二二号、失火被告事件、同四〇年一月二一日判決)

主文

被告人は無罪。

理由

第一公訴事実の要旨・家屋焼燬の事実

本件公訴事実の要旨は、「被告人は、福江市東浜町七三九番地所在の九州商船株式会社福江支店の倉庫労務員であるが、昭和三七年九月二五日午後六時頃より右倉庫の宿直勤務に就き、午後一〇時頃就寝し、翌二六日午前〇時五分乃至一時頃までの間に一旦起きて、タバコを吸いながら右倉庫を見廻つた際、その吸殻を完全に消火しないで倉庫内に投げ捨てれば、同所には藁屑などが散乱し、かつコモ包みやケースなどが集積されているため、右吸殻の火がこれらに引火する危険性があるにもかかわらず、不注意にも完全に消火しない吸殻を、右倉庫内の久賀・二本楠など方面荷物置場附近に投げ捨て、そのまま就寝した過失により、同日午前二時頃右吸殻より附近の荷物に燃え移り、現に人の住居に使用する右倉庫およびこれに隣接した附近の住家など三九七戸を焼燬するに至らしめた。」というのであり、昭和三七年九月二六日午前二時過ぎ頃、右倉庫から出火し、同倉庫および近辺の現に人の住居に使用する住家など三九七戸が焼燬したことは、〈証拠〉により認める。

第二出火原因と当事者の主張

(1)検察官の主張

本件記録に徴すると、右出火の原因は「九月二六日の倉庫宿直員であつた被告人が、同日午前〇時五分乃至一時頃、再び目をさまし、床の中で腹ばつて、巻煙草一本(「いこい」か「しんせい」)に火をつけ、半分位吸い、雇物をはき、煙草を吸いながら中二階下部荷物置場附近まで出て附近を見渡し、一寸位になつた吸いかけの煙草を右手親指と人さし指で捻じ切るようにして、荷物のそばに投げ棄て、煙草の火は消えていると思つて再び寝た。しかしながら右煙草の火が完全に消えていなかつたため、これから附近の荷物に燃え移り、さらに家屋を焼燬するに至つた。」と主張する。

(2) 被告人ならびに弁護人の主張

本件記録に徴すると、被告人が当夜右倉庫の宿直員であつたことは認める。しかしながら九月二六日午前〇時五分頃から一時頃までの間に一旦起きて倉庫内を見廻つたことはない。いわんやその時煙草を吸つたことはない。と主張する。

第三捜査官に対する被告人の自白と、この調書に対する被告人および弁護人の主張

被告人の当公判における供述(公判調書中の供述記載を含む。)、および証人大久保稔の証言、ならび一件記録に徴すると、被告人の自白を録取した調書のうち、失火事実に関する具体的記載があるものは、

(A)37年9月27日付 警部大久保稔作成

(以下A調書と略称)

(B)同年10月1日付 右同人作成

(同 B調書と略称)

(C)同年10月3日付 検察官羽田辰男作成

(同 C調書と略称)

(D)同年10月1日付 裁判官の勾留尋問調書

(同 D調書と略称)

(E)同年10月9日付 警部陣内辰末作成の実況見分調書中の被告人の説明部分

(同 E調書と略称)

の五通である。そして被告人および弁護人は、右A乃至C調書は、「被告人を不当に拘束したうえ、心理的強制を加えて自白を強要したすえ、被告人の不任意な自白を録取したものであり、いずれも任意性を欠く。」と主張する。(なおD調書は証拠とすることに同意し、E調書の右説明部分については別段の主張はしていない。)また本件記録にあるその余の捜査官作成の調書についても任意性を争つている。

第四A乃至E調書の供述記載の比較対照とその結果

前記各調書の任意性の有無の判断に供するため、まづ前記A乃至E調書の各失火事実の供述記載部分のみを左に摘記し、これを比較対照してみる。

(1)A調書の供述記載(記録一四四五丁裏以下)

「次に目をさましたのが午前一時頃であつた。そのときは柱時計を見たから、およその時刻を知つたのであるが、正確なところではないが午前一時頃であつたことは間違いない。そのとき枕許に置いてあつたタバコを起きながら一本取り出し、置いていたマッチで火をつけて、土間のツッカケを履いて腰をおろして吸い、半分位吸つた頃に、くわえタバコのままで宿直室の出入口を出て、二・三歩位行つた附近に立ち止り、倉庫の中一面に目を通し、異常がないことを認めた。そこで一々表戸から東側と廻つて錠をたしかめることをしないで、部屋の前からたしかめ、附近を二、三歩位動いた程度であつた。そのとき部屋から火をつけて持つて出たタバコをだいぶん吸つて半分以下位に残つた分(吸殻のままと判読すべきであろう。)を、その附近に捨てたまま引返して、床についた。」

(2)B調書の供述記載(同一四八六丁裏以下)

「また目がさめた。そのとき寝たままの状態で、正面の天井下にかかつている時計をながめたところ、文字盤の12と1のところを二本の針がさしていた。そのときは午前一時頃と思つたが、長短針の位置いかんでは一二時五分かもわからず、もしかしたらそうだつたかもしれない。いずれにしても一二時過ぎか一時頃に目をさましたことは間違いない。それから枕許に用意していた新らしいタバコを一本取り出し、マッチもいつしよに用意して置いたので、寝たままマッチをすつて、タバコに火をつけて、床の上に腹ばいの型になつて暫らく吸つた。起きあがる頃までに半分位は吸いへらしていた。そのタバコを口にくわえながら、ツッカケを履いて、出入口の机の横まで一応行つた。そしてその場所から見える範囲で倉庫の中を見たが、また少し歩いて出入口から二・三歩位前まで進んで、一面に倉庫内を見渡した。この間タバコは口にくわえたり、手の指にはさんだりして吸い続けた。倉庫内は別に変つた様子もなかつたので、その場にしばらく立つて、タバコを吸いながら見渡し、そのまま部屋に引揚げた。その引揚げ際に、床の中から火をつけて吸つていたタバコをそのまま吸い続けて持つていたので残りも短くなつていたのを、部屋の出入口から二・三歩位の位置と思われる久賀・二本楠・荒川方面行の荷物を投積みしてある、その足許(被告人の足許と解すべきであろうか?)附近に火のついている吸殻の火を、手前の方からもみ出すような要領でもみ落し、その吸殻もまたいつしよに同じ附近に捨てた。」

(3)C調書の供述記載(同六〇一丁裏以下)

「次に目をさましたのは夜中の一二時五分か一時頃で、うとうとしてはつと目をさましたとき時計を見たら針が1と12のところを指していた。そのときは一時だと思つたが、たしかめていないので一二時五分かもわからぬ。このときはまずその場で腹ばいになり、タバコを一本抜いてマッチで火をつけ、そのまま新らしいタバコを半分位まで吸い、ゆつくりと土間に足をおろし、ツッカケ草履をはき、さらに一・二服したうえ、ゆつくりした足取りで休憩室を出て、中二階にあがるハシゴの手前約三尺位の地点に行き、倉庫内をざつと見渡し、異常がなかつたのでそこに立ち止り、また何回かタバコを吸い、一寸ぐらいになつたので、いつもするように、火のついたところを、右手の親指と人さし指で一回ねじきるようにして、その場に投げ捨てて、部屋に戻つた。」

(4)D調書の供述記載(同八五九丁以下)「一二時頃から午前一時頃にかけて目をさまし、その時も倉庫内をたしかめたが異常はなかつた。ただこのとき『いこい』一本を吸つて、爪さきで消して、土間に捨てた。……私が指先で消したと思つて捨てたタバコの火が消えておらず、それが土間にあつたチリなどに燃え移つて大火になつたと思う。」

(5)E調書中の被告人の指示説明などによる実況見分調書の記載(同三二三丁以下)

「同調書の三二四丁裏の『現場の状況3』の記載ならびに付図および同図面上の説明部分、添付の写真などを精査しても、吸殻の落下地点を明確に知ることができない。(被告人の足跡部分が落下地点というのか? そこに立つて投げすてたもので落下地点は別の場所であるというのであろうか? 判読し難い。)

以上A乃至Eの五調書の記載を比較対照すると、タバコの吸いかた、被告人が宿直室を出て戻るまでの足どり、吸殻を捨てた位置、吸殻の火の消しかたおよび捨てかた等、僅々数分間以内と推定される期間の行動につき、各調書とも極めて微妙ではあるが、そしてまた最も重大な事柄ばかりにつき(なおこの時刻以前の被告人の行動については当該各調書の記載は殆んど相違せず、十分に事実を確定できるが。)区々に相違していることを発見する(なお被告人のいう後記「第一の方法」とも相違点がある。)。このことは、その記載内容の信用性はさておき、まず後記任意性に関する争点と関連して、極めて重要な因果関係を有するものと判断する。

第五捜査官の取調状況のうち、主として外部的事実についての考察

被告人の当公判廷における供述および証人大久保稔の証言ならびに前記A乃至E調書などの一件記録に徴すると、

(1)被告人は、二六日午前三時か三時過ぎ頃、福江市大波止の九州商船株式会社福江支店にいるところを、福江署員から任意同行を求められ、承諾して同署に赴いた。

(2)しかし同署も延焼の危機が迫つたので、署員同伴で、福江中学校に行つた。

(3)さらに署員同伴で、捜査本部となつたキリスト教会に赴き、ここで調べが始まるのを待機していた。

(4)やがて午後一時頃(被告人供述)か同三時頃(大久保証言)から大久保警部による取調べが始まつた。当日の取調べは午後一〇時過ぎ(大久保証言)か一一時頃(被告人供述)まで、その間食事時間として一時間あて位の休憩を得た外は、概ね継続された。

(5)当日は供述調書を作成するまでに至らず、また被告人は失火事実を認めていない。

(6)キリスト教会での取調べが終つてから(終了時刻の相違につき前(4))、署員同伴で(多分大久保もいつしよに)、自動車で、善教寺に赴いた。

(7)当時善教寺は、応援に来福した警察職員が少くとも数十名以上宿泊していた。被告人は同寺の少くとも数十畳敷きの御堂で、前記多数の署員の寝ているほぼ真ん中辺りに、左右から職員に脇寝されて寝に就いた。(この点について、以上の認定と異る大久保証言は措信し難い。)

(8)被告人は、翌二七日は善教寺で、署員といつしよに、朝食し(被告人はよく眠れず、一口も食べなかつたと述べている。)、署員に連れられて、キリスト教会に赴き、午前八時頃(被告人供述)か九時(大久保証言)頃から、大久保警部の取調べが始つた。そして当日午後のおそい時刻頃になつて被告人の自白が始まつた。そこでそれまでは「参考人」(重要参考人とも言う。)として調べていたものを「被疑者」にきりかえ、弁解を録取し(以上大久保証言)、最初の自白調書となつたA調書が作成された。調書の作成を終えたのは午後九時(大久保証言)か一一時前頃(被告人供述)であつた。なおこの日も毎食事時刻に約一時間宛ぐらいの休憩を与えられた外は、概ね取調べは継続された。

(9)なお大久保警部より被告人に対し(その時刻は自白開始前に)「被告人の妻が急病で倒れ、意識不明になつている」旨を告げられた(なおこのことは自白の任意性に影響はなかつたと被告人は述べている。)。

(10)右(9)の事情があつたので、A調書作成後(時刻の相違につき右(8))、署員同伴で、自動車で、自宅(火災にあつていない。)に帰つた。当夜は自宅で一泊した。

(11)その翌日の二八日は、朝八時頃、署員が自宅にいた被告人を呼びに来たので、承諾して同行し、キリスト教会に赴いた。すぐに大久保警部の取調べが始り(取調べ内容は、前日の調書のとりなおし程度)、午前一〇時頃元教員養成所に移つて、午後の薄暗くなる頃まで取調べを受けた。そして午後七時過頃に逮捕状を執行された。

(12)その後おもだつたものとしては、一〇月一日にB調書およびD調書が、一〇月三日にC調書が、一〇月九日にE調書が作成され、一〇月一四日に釈放となつた。なおその後一〇月一七日に被告人の求めにより同日付羽田検事作成の供述調書(否認調書)が作成された。

以上の事実を認めることができる。

第六捜査官の取調べ状況のうち、主として内部的事実に関する考察

(一)まず被告人の供述(公判調書中の供述記載を含む。)による取調べ状況を摘記すると、

(1)九月二六日は、中学校で福江署員より、約一〇分間位一般的質問をされた。

(2)キリスト教会では、身分、経歴などの一般的質問が終つた後は、専ら被告人が、出火に最も接近した時刻に、煙草を吸つたか否かの問答に終始し、否認を続ける被告人に対し「日頃煙草を吸う者が、そのときに吸わないというのは嘘だ。絶対に吸つている。思い出せ。」と繰り返し追求された。

(3)同夜善教寺に寝たのは、大久保警部より「君は帰らない方がよい。署員と泊りなさい。」と言われ、これに従わないと、叱られたり、不利益な取扱いを受けるのではないかと心配し、「はい」と言つて宿泊することにした。自ら宿泊を希望したものではない。

(4)翌二七日の取調べは、前日に続き、失火事実の一点に関し、教えきれない程に、繰り返し反覆して質問が続けられた。そしてその時刻、順序、如何なる機会と関連とにおいてその問答などがなされたかなどについては審らかではないが、次のような問答や、事実があつた。以下問答については◎を大久保警部の問いとし、△を被告人の答えとする。

まず問答の大要を摘記する。

◎昨夜は眠れたかね、どうかね、思い出したかね。

△わたしは吸つていません。

◎きみ、それならどうした火かね。

△自然発火か、電気と思う。

◎自然発火か電気かは調べさせているからわかるが、きみの煙草に違いないのだが。

△吸つていません。

……そうするうち……

◎きみが放火したのではないか?

△そんな大それたことはしません。放火しなければならない理由がどこにありますか。

◎それならば、きみの煙草の火ではないか。

△いいえ。吸つていません。

◎それならよく考えてみなさい。ネズミが他所から火をくわえてくると思うか?

△そういう馬鹿なことはありません。しかし、わたしは煙草は吸わず、放火もしていません。ただ、うち(倉庫内)から出た火とすれば、自然発火か電気と思う。

◎しかし、きみは煙草を吸つている。煙草を吸う人間が、九時頃に吸つて、その後ずうつと吸わないということがあるか? きみ一人しかいなかつたんだ。きみは知つている。

△わたしは一人いました。しかし知りません。

◎きみが、煙草を吸わないとは嘘だ。それだから白状せろ。思い出せ。考えかたが足りぬ。責任感がない。警察をなめるな。思い出

して言うまでは絶対にやめない。

△それでも吸つてないと言い続けた。

◎きみが、そう思い出さないと言うなら、調書は放火でとる。放火を調書でとつたら一〇年の懲役にくいとばい。それでもよいか。……とどなられた。……

△いいえ。そんなに言われても、吸つてないものを吸つたとは言えません。あなた達がわたしに吸つたと言わせようとすれば、わたしは嘘しか言えません。

◎誰が嘘を言えといつたか、警察を馬鹿にするな。……とどなられた。……

△そんなら、どんなに言えばあなた達の気に合うようになるのですか、どんなに言ったらいいのですか、ほんと(真実)を言つても嘘といわれ、嘘を言えばいうなといわれるし、どんなに言つたらいいのですか。

きみが、そこは腹ひとつだ。こんな大火をしたのではないか、ここはきみの腹にあるんだ。

△いぜんとして否認し続けた。

またこのような問答の間に、それはこの二七日の半ば頃だつたと思われる午後の頃に、大久保警部より、失火の方法として、一つは「一二時五分か、一時頃に起きたとき、床の中で起きて、しばらく煙草を吸つて、それから起きて、ツッカケ草履をはいて、煙草を吸いながら宿直室を出て、倉庫内に二・三歩出た。倉庫内の見える範囲を見たところ、異常はなかつたので、そこで煙草をもみ消して、これがはつきり消えたかどうかを確認せずに、戻つて床にはいつた。」(以下第一の方法と略称)であろう。もう一つは、「前同時刻に起きて、敷居に腰をかけ、それから煙草をしばらく吸つて、吸いながら倉庫内に二三歩出た。それで倉庫内の見える範囲を見渡して、何も異常がなかつたので、そこにある荷物で煙草の火をもみ消して、それもたしかに火が消えたかどうかを確認せずに、消えたものと安心して戻つた。」(以下第二の方法と略称)。

この二つの方法以外にはない。どうだ、どんぴしやりだろうが。(記録一二三七丁以下)と仮装の事実を設定して、択一的な自白を求められた。

さらに左のようなこともあつた。それは午後三時頃になつていたのではないかと思うが、県警本部の人がはいつてきて、被告人に対し、「電気を調べたら電気ではないぞ。『きみが放火したのだ』とみんなが言つているぞ。きみ達は昨日からちつとも進んでないではないか。もういいかげんでけりをつけなさい。」と言つたので、被告人はしばらく黙つていたが、やがてその署員に対し「倉庫内の二本楠・久賀方面荷物置場の上方に、一〇〇Wの裸電球があつたが、もしかしてその電球が毀れ、附近の荷物上に落ちて、荷物に引火したのではないだろうか?」という趣旨のことを尋ねたら、福江署の西田刑事が立つてきて、「なに、きさま、なんでその発火するとかね」と言つて、西洋紙を持つてきて、電球につけ、「このように絶対に発火しない。」となんべんも言つた。

かくしてこのような取調べの結果、どのように真実を述べても警察がとりあげてくれないので、当夜宿直員であつたということに責任をとつて、嘘の自白をすることになり、午後七時頃より、前記「第一の方法」によつて失火した旨を述べ(A調書を精査するも第一の方法は記載されていないが、B、C両調書にはこれに類似の記載がある。)、A調書が作成されることになつた。なおこの自白をする前に妻の病状は知らされていた。その後前述のように帰宅した。

(5)ついで二八日の取調べ状況は前記第五(11)のとおりであり、同日逮捕され一四日に釈放になるまで、司法警察職員および検察官の取調べならびに勾留尋問を受けたが、これについては、「もう嘘の自白したんだ。無実の罪を着たのだ。今さらどうしようもない。」との心境からA調書の記載と同趣旨の自白を繰り返した。なおこの外に、検察官に送致される直前に、大久保警部より「わたし達は、ただ、あなたの調書をとつて、検事・判事にお膳立てするだけだ。この調書を食うも、食わぬも検、判事の腹ひとつだ。もしこの調書と、きみの言うことが違つて、または調書にとつたこと以外のことを言つて、検・判事に腹をかかせて、憤慨させたら、きみは軽い罪でも重くなるのだから、何でも、いまは、きみは、百円から五万円内の罰金だ。安いんだ。やさしいんだ。まあよく考えて、調書にあるように、検・判事の前に行つても、はいそうであります。はい間違いありません。とただそれだけ言つていればよい。」と言われた(なおこの点につき、大久保証人は「それは私が、本人が行くときに、とにかく、あんたは私に今まで、まあ、正直に話をしたように、これからまた検察官もお調べになるわけやから、それで正直にありのままのことを正直にお話ししなさいということを、私は申し上げたと記憶しています。」そして右は善意の助言である旨証言している。(以上速記録を引用、記録一二〇七丁)。そこで各検察官の調べに際しても(主としてC調書、)勾留尋問の際にも(D調書)問われるままに嘘の事実(自白)を認めた。

以上が被告人の述べるところの取調べ状況である。

(二)右(一)に関連して、主としてその取調べに当つた大久保警部の当公判廷における証言によると、

(1)二六日以降二七日に被告人が自白を始めるまで(弁解を録取する直前まで)は参考人として調べた(重要参考人とも証言しているが。重要参考人と被疑者の相違は如何?)。しかし不審な点は究明した(記録一二一二丁以下)。

(2)二六日夜の善教寺における被告人の宿泊は、被告人から「火災によつて多数の市民に迷惑を及ぼして申し訳がないので、町の人々と会いたくない。また家族のものにも顔を会わせたくない。それでいつしよに泊めて欲しい。」との申し出でがあり、被告人も相当興奮していたことをも考慮して、上司と相談のうえ、善教寺に泊めた。(このときはまだ参考人であつた。)

(3)右(一)にあるような不当な取調べはしていない。しかし、当初から、捜査常識上の出火原因についてはあらゆる角度から質問した。

なお、(一)(5)記載の助言はしたことがある。

以上の供述をしている。

(三)右(一)・(二)の各供述を対比すると、両供述は悉く、相違したり、対立したりしている。そのうえにその真否を判断する資料は、直接には両供述のみしかなく、この判断は右各供述のみではにわかには決し難いところであるから、諸般の事実を綜合勘案して結論を見出さなければならないところ、

(1)さきに(第五全般)に認定した取調べの外形的事実(刑事訴訟法二二三条、一九八条一項但書および三項乃至五項、一九八条全文、一九九条、二二六条乃至二二七条、失火罪の法定刑とも対比のうえ。)

(2)同じく(第四全般)前記A乃至E調書の各供述記載の相違点(とくに身体上或は心理的強制若くは質問方法と任意性との関連において。)

(3)大久保証人のいう善教寺宿泊の理由の不合理性(仮に証人の述べるような理由であつたとすれば、署員の仮泊所に、署員に混ぜて寝せるのは不適当、かつ不人情的である。むしろ、適当なる知人や親族を探してそこに宿泊させるべきで、このことはそれ程困難とは考えられない。仮に善教寺に寝せたとしてもその場所や方法が不適切である。ましてや当時なお参考人として取扱つていたというにおいては尚更のことである。また帰宅した日である二七日には被告人が言つたというところの、迷惑をかけた市民やまた家族には会いたくないとの理由は解消したのであろうか?)

(4)大久保証人が、被告人よりの反対尋問に答えて、質問内容とは相違するが、ともあれ検察官送致の寸前に、「……検察官から調べられたら、今までわたしに正直に話したように、正直に述べなさい。」(記録一二〇七丁)という趣旨のことを言つた事実(もつとも裁判所はこの証言をそのまま措信することはできず、この点についての判断は後記のとおりである。しかし仮にも、少くともこの言葉のみをとつても、これによる拘留中の被疑者への心理的影響や黙否権との関連を考えるならば不当のそしりを免れない。前記一連の取調べ行為との関連を考慮すれば同証人の証言するような単なる助言とは同一視することはできない。)

(5)その他大久保証人の証言全般(就中、被告人よりの反対尋問に対する同証人の応答態度が、しばしば沈黙し、または返答に窮したりして、同証人の否定的返答にもかかわらず、裁判所をしてむしろ被告人の質問にかかる事実の方が真実ではないかとの心証を深くさせたこと。)、被告人の供述および供述記載(ほぼ内容が一貫し、真に事実を体験したものとしての迫真性が感得されたこと。)、被告人の経歴、性格(主として、中には自己の利益に事を誇張したり、客観的事実と相違する((A調書と前記第一の失火方法の記載の有無など))点も見出し得るが、かといつてことさらに虚偽を作為((たとえば大久保警部の取調べ方法、第一、第二の失火方法、質問事項など。))するような性格とは認め難いこと。)を綜合して考察すると、ここにいう被告人の取調べに関する内部的事実は、その時刻、順序、機会および供述との関連などにつき必ずしも審らかではないが、概ね被告人の述べるところ(前記(一))と同様若くは近似したものではなかつたかとの心証を強く懐かざるを得ず、反面そのようなことがなかつたとの確証はこれを見出すことができない。(なお被告人が自ら赴いて、その求めにより作成された羽田検察官作成の三七年一〇月一七日付の否認調書中の任意性に関する部分の記載と対比しても、また同日同検察官に対し善教寺宿泊の不当を訴えなかつたのは一見奇異に思われるが、このことをもつては以上の心証を左右することはできない。)

第七 検察官提出の証拠の排除

叙上第四乃至第六に認定の事実に徴すると、大久保警部の前記一連の取調べは、参考人としてであればいうに及ばず、被疑者としてであつても、まず法定の手続きによらずして違法なる身体拘束を加えたうえ、かつその拘束による心理的動揺(例えば被告人のいう、善教寺宿泊についての被告人の心理状態など。)のもとに、前記第六(一)、(二)、(三)記載の如きさまざまな心理強制的、利害誘導的、誘導尋問的、暗示的な不当視すべき質問を反覆続行し、被告人の宿直員としての社会的責任ならびに大火の事実と、刑事責任とを、巧みに混用したり示唆若しくは暗示して、虚偽の自白を誘発するような取調べをした疑いが極めて濃厚で、右取調べは被疑者(若くは参考人)の任意出頭による取調べに関する諸法規の趣旨に反する不当なものといわざるを得ず、しかもこの不当は自白の任意性に影響を及ぼす程度のものと認められるから、同人作成の前記A、B両調書(本件の証拠として提出された同人作成のその余の調書も同様に。)は自白の任意性に重大な疑いがあるものというべく、また検察官作成の調書も、その取調べ前に前記大久保警部の不当な取調べを経たうえに、さらに重ねて、被告人の述べるような大久保警部の利害誘導的暗示若くは示唆があり、右は何れも不当と認められ、かつその心理的影響の持続下になされたものであるから、これまた(右C調書も)その任意性に重大なる疑いを懐かざるを得ない。もつとも右C調書の作成、取調べに当つては、被告人も当公判廷における供述において認めるとおり、極めて慎重を尽して取調べたうえ作成されたものであることはこれを認めるに吝かではないが、しかしこのことをもつても前記の疑念を除去することはできず、さらに一〇月一七日付同検察官作成の前記否認調書の供述記載中任意性に関する部分、第四回公判調書中のこの点に関する被告人の供述記載を加えてもなお到底右疑念を拭いとることはできない。

このようにして、右A乃至C調書はいずれも任意性に疑いがあるので、証拠能力なきものとして排除する。(またこの外、本件の証拠として提出された被告人の供述調書で、任意性につき争いのあつた、各捜査官作成の調書も、以上の当該理由により任意性につき疑いを懐かざるを得ず、これらの調書も前同様排除する。)

第八 結論

かくして本件公訴事実中失火の点につき、被告人の刑責を決する資料としては、右A乃至C調書を除けば、その余の検察官提出の全証拠によつては、被告人を失火の責めがあるものとして有罪とするには十分ではないと認められる。

よつて被告人にかかる本件公訴事実はその証明が十分でないので、刑事訴訟法三三六条により、被告人に対し無罪の言渡しをする。

よつて主文のとおり判決する。

(秋吉重臣)

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